幼少期はフィギュアスケートを習い、中学・高校時代はテニス部に所属。格闘技は好きだったというのもあり、大学時代はボクシング部に所属し、最終的にはマネージャー兼主務となった。
大学3年のとき、家庭教師のナンバーワン女子大生を決める、家庭教師のトライ主催『第2回T-1グランプリ』に参戦するも、グランプリを獲得できなかった。
T-1グランプリに関連し、竹内はブログを公開していた。
同年、女子アナウンサーへの登竜門という異名を持つミス慶應コンテストの候補にも選出される。
この年の同ミスコンは、出来レース疑惑など大きな混乱が週刊誌に取り上げられたが竹内はミス慶應に選ばれた。