小学校6年生での渡仏時、フランス語が上手でなかったので現地の小学校では4年生に編入されたが、吸収が早くあっという間にフランス語を覚えた。
その際、それまで日本語で話していた父親とはフランス語で話すことに決め、今でも父親とはフランス語、母親とは日本語で話す。
少女時代、1990年頃に住友不動産販売のCMに出演したことがある。
砧中学校3年G組ではタッキーの愛称で呼ばれる、男子憧れの美少女だった。(お元気ですか日本列島2010年9月22日の放送で同級生のFAXより)
高校在学中に銀BURA天国の美少女を紹介するコーナーに出演した事がある。
青山学院大学ではフランス文学科に在籍するも、大学では基礎から教えていたため拍子抜けした。
担当の教授から「発音を聞かれるのが嫌だから君は来なくていいよ、単位はあげるから。」と言われ、授業中は大学図書館で自習していた。
英語、フランス語とも独学に近い。
ミスキャンパスに出場し、準ミス青山学院大学に選ばれた。その時の優勝者は梅津弥英子だった。
大学生時代の終わり頃にハーフ(ダブル)である自分のアイデンティティーについて強く悩み、サンフランシスコかフランスのどちらかに行こうと迷った末、フランスに行こうと決めたが、両親に「日本で語学を生かせる仕事に就いてほしい。」と反対される。
そんな中、サッカーワールドカップの日本代表監督がフランス人のフィリップ・トルシエだったのがきっかけで「自分ならワールドカップで通訳なしの取材ができ、架け橋になれるかもしれない。」と思い、アナウンサーを目指す。その後フィリップ・トルシエは、「ジャンクSPORTS」に出演した際に、「もし、私が今結婚していなかったら、滝川クリステルさんと結婚したかった。」と語っている。
フジを受験中に親しくなった同期の政井マヤと、入社前にメキシコへ旅行したが、現地の人に双子と間違えられたことがあると言う(政井はメキシコ出身)。