国際関係を知りたいとの志から、中学時代には宮崎県の中学生英語スピーチコンテストに挑戦し優勝。
高校時代には自国の文化に親しもうと茶道部に入部した。
高校時代に老人ホームでボランティア活動をした事で、自分の知らなかった世界に踏み込んだという衝撃を受け、本格的にマスコミ人を目指す一つのきっかけとなった。
また本格的にアナウンサーを目指すきっかけとなったのが、大学の政策過程論の授業(担当教員は草野厚)のディベートで立論を人前で読み上げたことだった。
大学在学中にボランティアとして、高円宮杯全日本中学校英語弁論大会の運営に携わっていた。
大学のバスケットボールサークルkagersに所属し、アナウンサー養成学校にも通っていた為に、これらの予定が重なった時には、大学の校舎がある神奈川県藤沢市と都内とを何往復もするという生活を続けた。
現在でも日本の英語教育について関心を持っており、上述の英語弁論大会の主催をしている日本学生協会基金の個人協賛者として名前を連ねている。